最近ふと思う。
「どうして僕はいつも、
一歩引いて人と関わろうとするんだろう?」
人が嫌いなわけじゃない。
むしろ、
みんなの幸せを本気で願っているつもりだ。
だけど深く関わることには、
どこかブレーキをかけてしまう。
心のどこかで、
「これ以上近づいたら、また失うかもしれない」
と感じている。
そうやって気づけば、
僕はずっと「逃げること」で自分を守ってきたのかもしれない。
大切な人を亡くしたことがある。
信じていた友人と、
ある日突然縁が切れてしまったこともある。
どれも本当に小さなきっかけだった。
それなのに、傷は深くて長く残った。
「だったら最初から、近づかなければいい」
そう思って過ごしてきた時間。
それは、たしかに穏やかで...
でもどこか寂しかった。
この記事では、
「距離を取る」という考えを、少しずつ手放していった過程を綴ってみようと思う。
自分を守るために築いた壁。
それが実は、
誰よりも自分を孤独にしていたこと。
そして最近になって、
少しずつ人とのつながりが“怖くないもの”に変わってきた理由。
この文章が、
誰かの心のどこかに、そっと寄り添えたら嬉しい。
目次
第1章:
誰かと距離を置くことで、自分を守っていた
気づけば僕はいつも、
誰かと適度な距離をとろうとしていた。
優しい言葉をかけるけど、深入りはしない。
笑って話すけど、本音は言わない。
誰かに好かれることはあっても、
「本当に僕のことを知ってくれている人」
は少なかったかもしれない。
それでも、
- 「その方が楽だから」
- 「その方がお互いに傷つかなくて済むから」
そう自分に言い聞かせてきた。
でも最近その考えを、
少しだけ手放してみようと思えるようになった。
もちろん、
すべてが変わったわけじゃない。
今でも、
- 人と関わるのはどこか怖い。
- 踏み込みすぎることにためらいがある。
でもほんの少しだけでいいから、
人との「心の距離」を近づけてみたい。
そう思えるようになったのは、
おそらく、いくつかの大切な経験を経たからだと思う。
第2章:
なぜ人を遠ざけようとしていたのか
人と距離をとろうとするようになった。
それには、きっと理由がある。
「大切な人を失う」という経験が、
僕の中であまりにも早く訪れてしまったからなのかもしれない。
僕がまだ5歳のとき。
朝起きると、
隣で寝ていた父の体が、冷たくなっていた。
当時は家族みんなで、
川の字になって寝ていた。
眠る前の夜。
いつもと何も変わらない、当たり前の風景だった。
朝になって父を起こそうとした。
...反応がない。
母は何度も父の名前を呼んでいた。
それを僕もそばで見ていた。
そのときの僕には、
“死”がなんなのか、よくわかっていなかった。
だから、涙は出なかった。
ただ父の体が冷たくて、
「どうして動かないんだろう?」
と思っただけ。
その場にいたのは、確かに僕だった。
なのに「出来事」としては、
まるで誰かから聞かされた話のように、どこか他人事だった。
成長するにつれて、少しずつ、
その記憶が「現実」に追いついてきた。
父がもう帰ってこないという事実。
それを僕の心は、徐々に理解していった。
父の死因は、心不全。
実家の家業を手伝っていた父は、
人手が足りず、無理を重ねていたらしい。
「優しい人だった」
と、大人たちは言っていた。
だからこそ、
死というものを知った僕はこう思った。
「人と深く関わると、失うのが怖い」
「大切にすればするほど、いなくなった時に耐えられない」
だから気づかぬうちに、
誰かと親密になりすぎないようにしていたのかもしれない。
第3章:
誰よりも大切だった親友との絶縁
そんな僕にも、
中学の頃からずっと一緒に過ごしてきた親友がいた。
人を遠ざけていた僕だったが、
そいつはそんな僕のことを気にかけてくれた。
毎日しつこいくらいに構ってくれた。
そんな彼に、僕は心を開いた。
- 同じ笑いのツボを持っていて
- 無言でも気まずくならない
そんな空気感。
学生時代も、大人になってからも、
そいつといる時間はなんだか「地続きの自分」でいられた。
だからこそ、その日も嬉しかった。
僕の誕生日を「祝いたい」と連絡をくれた。
お酒を飲むのが好きな僕たちは、
2人で居酒屋に行くことになった。
特別なことをするわけじゃなくても、
「祝うよ」って言葉だけで嬉しいと思える。
そんなくらいには、大切な人だった。
でも、その夜。
居酒屋のテーブルで、彼は突然言った。
「お金持ってないから、今日払えないんだよね」
——あ、またか。
彼はここ数年、
精神的に不安定になって、ちょっと奇行が増えていた。
会うたびに何かを要求されたり、
周囲の人に“ちょっと困った頼みごと”をしている姿も、何度か見かけていた。
心配だったし、大切だからこそ何度も伝えてきた。
- 「自分を大事にしろ」
- 「乞食みたいな事をするな」
- 「孤立してしまうぞ」
その夜も、同じ気持ちだった。
「お金がないって、じゃあなんで誘った?」
と静かに、でもはっきりと伝えた。
すると彼は目を見開き、唐突に立ち上がる。
そして、
「……もういい!縁を切る!」
と言い残し、店を飛び出していった。
しばらく呆然と座ったままの僕。
テーブルには食べかけの料理と、空になったグラス。
お会計はもちろん僕が払った。
……まあ、僕の誕生日だけど、
そういう日なんだと思うことにした。笑
その夜の帰り道、思った。
「ああ、また大切なものが消えた」
正直彼が、
本気で縁を切る気なんてないのはわかってた。
勢いで言ったのだろう。
でももう僕の中では、
“何か”が壊れてしまっていた。
怒っていたわけじゃない。
ただ、ものすごく悲しかった。
あんなに長い時間を一緒に過ごしてきた。
「大切な関係」って、
こんなふうに一瞬で終わってしまうんだって。
それ以来、
僕はますます人と距離を取るようになった。
誰かと深く関わることは、
失う未来とセットでしか考えられなくなっていた。
でも──
今は、少し違う。
- この感情
- この出来事
- この痛み
それらが自分の中に残っている。
だからこそ、
少しずつ自分の“やさしさ”の形が見えてきた気がする。
第4章:
“人との距離”を捨てた日
人と関われば、いつか傷つく。
深くつながればつながるほど、
失ったときのダメージも大きくなる。
そう学んできた僕は、
更に人と距離を取るようになっていた。
誰かの笑顔を見れば、
「いつかこの人も、いなくなるのかな?」
なんて思ってしまう。
親切にされた瞬間に
「この好意に応えられなかったら、幻滅されるのかな?」
そんな風に、不安が先に立ってしまう。
人が嫌いなわけじゃない。
むしろ誰よりも、
「人の幸せ」を願っているつもりだった。
——だからこそ、
- 傷つけないように
- 傷つかないように
一定の距離を保って、
相手の世界に深く入り込まないようにしていた。
でもある日、ふと気づいた。
「僕がやってるのって、
思いやりじゃなくて逃げなんじゃないか?」
人の痛みをわかろうとしている。
そんな風に装って、
実は自分の痛みから逃げていただけじゃないのか。
誰かに優しくすることで、
自分を肯定していたつもりだった。
その実ずっと、
“本当の自分”をさらけ出せずにいた。
僕が変わるきっかけになったのは、意外と小さな一言だった。
「ちゃんと頼ってくれて、ありがとうね」
──そう言われたことがある。
たったそれだけの言葉に、胸がぎゅっとなった。
- 誰にも迷惑かけずに生きることが、正しいと思っていた。
- 誰かを頼るのは、弱さだと思っていた。
でも、頼ることは信じることでもある。
ちゃんと相手のことを信じてるから、弱さを見せられる。
そう思ったとき、
初めて少しずつ“人との距離”が変わっていった。
きっと僕は、ずっと怖がってたんだと思う。
誰かを信じることも、誰かを頼ることも。
──そして、また誰かを失ってしまうことも。
でももう、それを言い訳にして、
「人と距離を置く生き方」を選ぶのはやめようと思った。
それが、僕が最近捨てたものだ。
第5章:
本音で生きることにした日
僕はずっと「いい人」でいようとしてきた。
いや、正確には、
「嫌われない人」だったかもしれない。
- 相手の気持ちを先回りして考える。
- 本音を言いそうになったら、ぐっと飲み込む。
- 不満があっても自分を納得させて反論しない。
人に深入りしすぎないようにしていた。
だからこそ、できていたことかもしれない。
そんなふうに、
波風立てずに生きるのが大人だと思っていた。
自分の感情よりも場の空気を優先すること。
それが「思いやり」だと信じていた。
でもある日、ふと気づいた。
僕が飲み込んできた言葉たちは、どこに行ってしまったんだろう?
- あのとき笑ってごまかした悔しさ
- 無理に押し殺した怒り
それらは、
ちゃんと消化されてるんだろうか?
──もしかして全部、自分の中に溜まったままなんじゃないか?
本音を言えなかった日々のことを、今でもふと思い出す。
- 人の無理に気づきながら、スルーしたとき。
- 親に心配をかけまいと、弱音を吐かなかったとき。
- 理不尽なことを言われても、頭を下げたとき。
あの頃の自分は、
“いい人”という仮面をかぶるのに必死だった。
でも仮面ってかぶり続けていると、だんだんと呼吸がしづらくなる。
それに気づいたのは、
本当に息が詰まりそうになったときだった。
本音って、むずかしい。
- 誰かを傷つけるかもしれない...
- 自分が否定されるかもしれない...
その怖さがあるからこそ、ついごまかしてしまう。
でも、思った。
誰かと本当に関係を築きたいなら、
まずは、自分の感情を信じてみなきゃいけないんじゃないか?
- 「それはちょっと違うと思う」
- 「実は、悲しかったんだよね」
- 「ごめん、今日はしんどいから無理したくない」
そうやって、少しずつでも本音を口にしていく。
そうしていると、
ちゃんと耳を傾けてくれる人がいることもわかってきた。
逆に、聞く耳を持たない人とは、
無理に付き合わなくてもいいと割り切れるようになった。
「嫌われる勇気」なんて立派なものじゃない。
「ちゃんと自分の気持ちを大事にする」
案外それだけで十分なのかもしれない。
本音で生きるってことは、
誰かと本音で向き合えるってことでもある。
- 喜びも
- 怒りも
- 哀しみも
- 楽しさも
全部分け合える関係って、やっぱりあたたかい。
それを実感するようになった。
それから、
なんだか世界の見え方が変わってきた。
- 言いたいことを言うのは、わがままじゃない。
- 感情に正直であることは、甘えじゃない。
それは、ちゃんと生きてる証だ。
本音で生きるって、
ラクじゃないけど、しんどくもない。
何より、
自分を誤魔化さなくていい分、心がちゃんと呼吸できる。
そして、それに気づけた今、
僕はやっと「人との距離」を少しずつ縮められている気がする。
第6章:
誰かに話したくなるような日々
本音で生きてみよう。
そう決めたところで、
急に世界が優しくなるわけじゃない。
しばらくはぎこちなかったし、正直ちょっと空回りもした。
- 言わなくてもいいことをぶつけてしまった
- 言いたいことがうまく言葉にならなかった
「やっぱり、昔のほうが楽だったかもな」
何度か心の中でつぶやいた。
それでも──
ふとした瞬間に気づく。
- 「ちゃんと会話ができているな」
- 「この人の前では、少し無防備でいられるな」
そんな小さな出来事のひとつひとつ。
それが、
僕の中の“孤独”をちょっとずつ溶かしていった。
誰かと心を通わせるって、特別なことだと思ってた。
でも実は、
そこまで大げさじゃなくていい。
- 「今日、空がきれいだった」
- 「なんか最近ずっと眠い」
- 「コンビニのおにぎり、たまにすごい当たりがある」
そういう、
なんでもないようなことを誰かに話せること。
それだけで、
心のどこかがぽっとあたたかくなる。
そんな日々が少しずつ増えていった頃──
僕は「文章を書く」という行為に触れた。
子どもの頃、作文が得意だった。
授業のあと先生に呼ばれて、
「いい文章だったね」と褒められた。
今でも記憶に残っている。
でもいつからか、
- 「うまく書こう」
- 「人に刺さるように」
なんて考えて、
気づけば言葉に力が入りすぎていた。
言葉を武器のように使っていた時期もあったと思う。
でも今はちがう。
自分の弱さや迷い、葛藤や失敗。
そんな“誰にも見せたくなかった自分”。
それを、そっと言葉にして差し出してみる。
誰かの顔を思い浮かべながら、ぽつぽつと綴ってみる。
すると、不思議と反応が返ってくる。
- 「わかるよ」
- 「自分も同じ気持ちだった」
- 「読んで、ちょっと泣いた」
- 「ワロタ」
そんな言葉たちに、僕のほうが救われる。
だから今は、
できるだけ飾らずに書くようにしている。
過去の自分が、
誰にも言えなかったことを。
今の自分が、
ちょっとずつ乗り越えてきたことを。
「全部大丈夫だった」とは言えない。
けれど、
「なんとか今日も生きてるよ」と書くことならできる。
そしてそんな日々を、
「誰かに話したくなる」って思える。
かつて“距離を置く”ことでしか自分を守れなかった。
そんな僕がほんの少しずつ、
人のあたたかさに触れ直しているんだと思う。
第7章:
最近、やっと捨てられたもの
僕はずっと、
「人と距離を置く」という生き方をしてきた。
そうすることでしか、自分を守れなかった。
本当は寂しかったのに。
本当は、誰かとちゃんとつながっていたかったのに。
でも人と近づくたびに、失うものが増えていった。
- 大好きだった父との別れ
- 信じていた親友との決裂
それはただの過去じゃなく、
僕の中に、確かに“恐れ”として残っていた。
「もう、傷つきたくない」
その一心で、僕は心のドアに鍵をかけた。
でもそんなままでは、
生きてる意味がなかった。
- 誰かと分かち合えないまま...
- 誰の本音にも触れないまま...
ずっと「いい人」を演じて、何も起こらない毎日を繰り返す。
それが“安全”なのだとしても、
それは僕の望む“幸せ”とは違った。
だから僕は決めた。
もう一度、人とちゃんと関わってみるって。
- 完璧じゃなくていい。
- うまく言えなくてもいい。
それでも、
その先に“分かり合える瞬間”があるのなら──
- 時には傷ついても
- 誰かの言葉に泣いても
もう一度、信じてみたいと思った。
「人と距離を置く生き方」
それは、たしかに僕を守ってくれた。
でももう、それは必要なくなった。
時間はかかったけど、
最近やっとそう思えるようになったんだ。
今もまだ、
完全に怖さが消えたわけじゃない。
でも、
「誰かと話すことが楽しい」
そう思える瞬間が増えてきた。
心から「ありがとう」って言える日が、少しずつ増えてきた。
そういうひとつひとつを、大切にしていきたい。
「人と関わらないことで自分を守ろうとする考え方」
これは、長年そばに置いてきた“お守り”みたいなものだった。
手放すのは、すごく怖かった。
でも手放してみたら、手のひらが空いた。
そのぶん、
あたたかいものを受け取れるようになった。
これからもきっと、うまくいかない日はある。
でも僕は、誰かと話しながら、
ときどきつまずきながらでも、前に進んでいきたいと思う。
それが、今の僕の「等身大の選択」だ。
あとがき:
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
どんな理由であれ、
「人と距離を置いてしまう」
そんな自分に悩んだことがある人には、
きっと少しだけ響く部分があったんじゃないかと思います。
無理に誰かと近づかなくてもいい。
でも、そっと心のドアを少しだけ開けてみる。
そんな日が来たときに、
この記事がそばにあれば嬉しいです。
この記事を書きながら、
あらためて「捨てる」という行為を考えた。
捨てるとは、
「何かを手放すこと」ではなく、
「何かを受け取るための準備」でもあるんだな。
人との距離を置くことで、守ってきたもの。
それと同じくらい、
本当は失ってきたものもあったんだと思います。
過去の自分を否定するつもりはありません。
その時の自分にとっては、それが一番だったんです。
ただ今の自分は、
もう少しだけ前に進んでみたいと思った。
その選択ができたことに、
- ほんの少しの誇らしさ
- たくさんの不安
それが同居しているのが、今の僕です。
もしあなたが僕のように、
何かを「捨てよう」としていたり、
「捨てられずにいるもの」に悩んでいたとしたら──
無理に手放さなくてもいい。
でも、手放したときに少しだけ心が軽くなるなら...
きっとその選択は、
あなたの人生にとって大切な意味を持つはずです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
どこかでまた、ゆるくつながれたら嬉しいです。
「この話、ちょっと切ないけど、なんかよかったよ」
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それではまた、スロー日記で会いましょう。
捨てる勇気も、受け取る勇気も大事。
※ナマケ者の声が流れるので注意してください。👆
ここまで読んでくれて、ほんとうにありがとう。
ナマケ者は、今日もゆるく息してます。
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無理せず、のんびりいきましょう。ではまた。
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