
がむしゃらに働けない自分に、
うしろめたさを感じたことはないだろうか?
- 「もっと頑張らないと…」
- 「正直仕事がしんどい」
そんなあなたに届けたいのが、
“哲学”という視点である。
哲学と聞くと難しく感じるかもしれないが、
実はただ「常識を疑って考える力」のこと。
もっと楽に、もっとよく生きるための、
“問いの道具”なんだ。
ただこの問いの道具は上手く使えば、
楽して仕事で成果を出す武器になる。
本記事ではナマケ者が出会った、
「仕事×哲学」のヒントを実体験を交えて伝えていく。
「変えたいけど、何から変えればいいかわからない」
そんなあなたに、
そっと寄り添うきっかけになりますように。
目次

第1章:哲学とは何か?仕事とどう関係があるのか?
「哲学って、仕事と関係あるの?」
多くの人はそう思うかもしれない。
- 難しそうな本を読んで
- 机にかじりついて
- 過去の偉人が残した言葉にうなずく…
哲学はそんな“学問”のイメージが強いだろう。
けれど哲学とは本来学ぶものでなく、
「なぜ?」と考える営みそのものだ。
- 「どうしてそれが正しいの?」
- 「それって本当に必要?」
そんな風に、当たり前を当たり前のまま飲み込まずに、立ち止まって問いかける力。
これが哲学である。

◾️人間は元々哲学する生き物
哲学をもっとわかりやすく言えば、
「思考のトレーニング」とも言える。
そしてそれは、
僕たちが生まれつき持っている力でもある。
たとえば子どもが3歳をすぎたころに訪れる「なぜなぜ期」。
「どうして空は青いの?」
「なんで電車は走るの?」
止めどなく出てくる「なぜ?」の嵐に、
大人はときに困り果てる。

でもあの「なぜ?」の連打こそ、
人間がもともと“哲学する生き物”であることの証明だ。
大人になるにつれて、僕たちはその問いを減らしていく。
- 「まぁそういうもんだよ」
- 「仕事ってそういうものだから」
- 「会社にはルールがあるからね」
知らないうちに問いかけをやめ、
“従うこと”が身についていく。
でも、ふと思う。
「この“そういうもの”って、本当にそうなんだろうか?」

◾️仕事の現場を変える哲学の力
仕事においてもこの問いはとても重要だ。
- 日々のルーティン
- 上司の指示
- 意味のわからない会議
- 使いづらいシステム…
「これって、もっと良いやり方があるんじゃないか?」
そう考えて立ち止まれる人は、
やがて“改善”という形で結果を出し始める。
逆になんの疑問も持たず、
“決まりだから”と動くだけの人は変化を起こせない。
つまり哲学的に考えることは、
「仕事の現場を変える力」になる。

◾️哲学は本当に役にたたないのか?
「哲学は役に立たない学問」である。
僕はよくこの言葉を耳にする。
実用性がなさそうに見えるからだろう。
実は哲学とは「今ここにあるものを、より良くする」ための“根っこの道具”だ。
カントという哲学者は言った。
「啓蒙とは、人間が自らに課した未成年状態から抜け出すことである」
ここでいう“未成年状態”とは、
「自分で考えようとしないこと」を指している。
- 「仕事のやり方は決まっているから」
- 「上司がそうしろと言うから」
こんな思考で動いている状態は、哲学的に言えばまだ“思考の幼さ”を引きずっているということになる。

※このカントの言葉をXでわかりやすく解説したポスト。
カント君が言いました。
— ナマケ者@ゆる哲学の布教者 (@namake_mono_zzz) July 25, 2025
「啓蒙とは、人間が自分自身に課した未成年状態からの脱却である」
啓蒙:みんながもっとかしこく、自由に自分で考えられるようになるお手伝い。
未成年状態:他人に決めてもらわないと決められない人。
である:である。
カント君は自分で考えてって言いたかった。である。

◾️なぜ?から始まる社会人生活
仕事の現場でこんな場面はないだろうか?
-
同じミスが繰り返される報告書のテンプレート
-
作業時間ばかり食う意味の薄い会議
-
誰も見ていないが義務化されている業務日報
-
納得いかないが「前からそうだから」で受け入れてきたルール
これらを「しょうがない」と見過ごさず、
「なぜこのやり方なんだ?」と考えてみること。
これが「仕事×哲学」の第一歩である。

イノベーションを起こすような人や、
現場を変える人はみんなこの問いをしている。
-
なぜ顧客はこの商品を選ばないのか?
-
なぜこの手順は必要なのか?
-
なぜこのやり方が非効率だと感じるのか?
そして仮説を立てて、試してみる。
そうやって「今までの常識」を更新していく。
この流れそのものが、
まさに“哲学的思考”と呼ばれるものだ。

◾️哲学は仕事にこそ役に立つ
僕は声を大にして言いたい。
「哲学は仕事にこそ役に立つ」
目の前の仕事がつまらなく感じるのは、
あなたのやり方が悪いんじゃない。
ただ「考える時間」が足りていないだけだ。
なぜ僕たちは考えることをやめてしまうのか?
- 考えずに従っていた方が楽だから?
- 答えがすぐ欲しいから?
- 考える訓練をしてこなかったから?
そう、これもまた哲学である。
次章では、
仕事が「できる人」と「できない人」の違いは何か?
思考の深さの結果の違いを掘り下げていく。

第2章:できる人とできない人の差は「考える力」
「この人なんでこんなに仕事ができるんだろう?」
職場やプロジェクトの現場で、
そんなふうに感じたことはないだろうか?
- 同じ時間に出社
- 同じシステムを使い
- 同じ情報を受け取っている
なのに自分より仕事が早く段取りが良く、
数倍の結果を出して評価されている。
しかも仕事を自然体でこなしているように見える。

一方で、真面目にやっているはずなのに、
なぜか結果につながらない人もいる。
決して怠けているわけではないのにだ。
この差は一体、どこで生まれるのだろうか?
結論から言えば、
「考えているか・いないか」である。
生まれ持った実力の差ではなく、
思考量と質の差が結果に現れている。

◾️「できる人」は“疑う”ことから始めている
たとえば、与えられた業務指示があったとする。
「このマニュアル通りにやってください」
と言われたら、多くの人は素直に従う。
実際、最初はそれでいい。
新人のうちは型を守ることも必要だ。
だができる人は、"マニュアルにとどまらない"。
- 「なぜこの手順なんだろう?」
- 「もっと効率良くできるんじゃないか?」
そうやって今あるやり方を一度疑い、
別の方法を考える。
そして自分なりに仮説を立て、
実践し、結果を見てまた修正する。
それはまさに科学の世界で行われている、
「仮説→検証→再構築」というプロセスそのものだ。
つまり「できる人」は仕事に、
常識を疑う“哲学思考”を持ち込んでいる。

◾️「できない人」は“正解信仰”にとらわれる
対してできない人は、
「正しい答えは一つ」と信じていることが多い。
- 「マニュアル通りだから間違いない」
- 「上司の指示が無いから動かない」
僕はこんな言葉をよく聞いてきた。
だがこれは“自分で考える”ことを放棄し、
「誰かの思考」に依存している状態だ。
哲学者・カントの言葉を借りれば、
それはまさに“他律の状態"である。

◾️【カントの言葉】「他律」と「自律」
カントは『啓蒙とは何か』という有名な論文でこう述べている。
「啓蒙とは、人間が自ら進んで未成年状態から抜け出すことである。」
ここで言う“未成年状態”とは、
「自分の理性を、他者の導きなしに使うことができない状態」
- 「言われた通りにだけ仕事する」
- 「考えることを面倒だと思う」
- 「責任は上にあると思っている」
こういった状態はすべて、
“哲学的に未成熟な状態"とされる。

対して“仕事ができる人”は、
自分の理性を信じ「自律」している。
自律とは「自分の頭で考えて動ける」こと。
誰かの意見を参考にしながらも、
最終的な判断は自分にあるというスタンスだ。
そしてこれは、
「才能」ではなく「鍛錬」で身につけられる。

◾️『ドラゴン桜』の名言に宿る“哲学”
「バカとブスこそ東大へ行け!」
これはマンガ『ドラゴン桜』の有名なセリフだ。
誤解を恐れずに言えば、
これは“哲学的な宣言”でもある。
「自分をバカだと決めつけるな。
考える力は、訓練すれば誰でも伸ばせる」
この言葉の真意はこの点にあるからだ。
この作品では、偏差値30台の生徒が東大を目指す。
「無理だ」と周囲は笑うが、教師・桜木の考えは、
「頭が悪いんじゃねえ。使ってないだけだ。」
この言葉には、哲学の本質が詰まっている。
そう、「思考は筋トレ」と同じで、
鍛えればどんどん成長する力なのだ。

◾️思考は筋トレ:使わなければ弱る
毎日言われた通りの仕事だけをしていれば、
- 「なぜこの手順なのか」
- 「もっと効率的にするには?」
こういった思考力は衰えていく。
なぜなら「考えないことに慣れてしまう」からだ。
この“思考停止状態”はラクだ。
でもそれは誰かの言葉を受け入れるだけの、
受動的な人生を生きるということ。
考えることは、
時に面倒で、疲れるし、孤独になることもある。
それでも自分で考えた人生の方が、圧倒的に自由だ。

◾️社会実験から見る「他律」の危うさ
心理学者スタンレー・ミルグラムが、
1961年に行った「アイヒマン実験」(服従実験)をご存じだろうか?
「権威のある人間から命令された場合人はどこまで他人に対して残酷になれるか」を調べた社会実験。
その結果多くの人が「命令されたから」という理由で、強い電気ショックを与えるボタンを押して他者に苦痛を与え続けてしまった。

そこにあったのは、
「自分の判断で行動する」という意識の欠如。
この実験は、まさに“他律の危うさ”を示している。
誰かの指示に従うこと自体は悪くない。
でも「なぜ?」を自分で考えない人間は、
結果的に悪を支える歯車になってしまう可能性すらある。

◾️哲学思考が仕事の自由の始まり
今あなたが仕事や人生で、
何かモヤモヤしていることがあるとしたら...
それは「まだ思考が足りていない」だけかもしれない。
-
なぜこの方法なのか?
-
他に選択肢はないのか?
-
自分は本当に納得しているのか?
こうした問いを、毎日の中に取り入れてみてほしい。
小さな“思考の習慣”が、未来をじわじわと変えていく。

「自分の頭で考えること」は、
時に苦しく、面倒で、不安を呼ぶこともある。
だから哲学思考は敬遠されがちだ。
でも、それでも自分の頭で考えることは、
“自分の人生に責任を持つ”ということでもある。
他人の答えではなく、
自分なりの仮説を持ってみること。
それが、仕事においても人生においても、
自由の始まりになる。

第3章:ナマケ者が改善した仕事の現場:哲学的思考の実践例
「働き者が仕事をつくり、怠け者が仕組みを変える。」
そんな言葉を聞いたことがある。
怠け者は怠けているだけのように見える。
けれど体は休んでも頭はフル回転させ、
“仕事を効率化する力”を秘めている。
これは、僕自身の体験から気づいたことだ。

◾️【実話】仕事で哲学思考するナマケ者
転職を繰り返してナマケ者が辿り着いたのは、ある地方の物流倉庫。
倉庫と言っても複数の仕事があったが、
僕は「ピッキング作業」をする事になった。
ピッキング作業とは、
商品を棚から取り出して仕分ける仕事だ。
作業はシンプル。
指示されたリストの確認→該当の商品を棚から取る→パレットにリストの順で積む→出荷エリアまでフォークリフトで運ぶ。

ただ、ピッキング作業を始めて数日で、
妙な違和感を覚えるようになった。
- 「なぜ、この商品がこんな遠くにあるんだろう?」
- 「なぜ、頭文字同じなのに、バラバラに管理してるんだろう?」
最初は仕事を覚える段階だったから、
「まあそういうもんだろう」と思っていた。
でも、汗だくになって走り回るうちに、
次第に思ってしまったのだ。
「いや、これはちょっとムダすぎないか?」

◾️ナマケ心が“仮説”を生んだ
前提を伝えると、ナマケ者は何もしたくない。
だけど仕事でサボるつもりはない。
倉庫内の動線を簡単に図にしてみると、
案の定、非効率な回り道が多い。
そして「商品がどこに置いてあるのか分かりづらい」こともあって、慣れた人間でも商品を探すのに迷い、作業時間が何倍にも膨らんでいた。

そこで僕は自分の「ナマケ心」に正直になる。
自分がラクするために。
具体的には、こんな仮説を立ててみた。
- 棚のレイアウトを変えたら歩く量を減らせる?
- 頭文字が同じ商品はまとめて管理したら迷う時間を減らせる?
- よく出る商品は、出荷エリアに近い位置にまとめたほうが効率がいい?
当時の倉庫は、先輩のやり方が“絶対”だった。
だけど、思い切って上司に提案してみた。
「配置を変えたいんです。試しに一部エリアだけでいいので…」
結果から言うと、この仮説は大当たりだった。

◾️仕事に哲学を取り入れ利益2倍
一部の棚の配置を変え、
よく出る商品を「出荷口付近」にまとめた。
すると作業スピードが大幅にアップ。
なんと、1日あたりの処理件数が2倍以上になった。
無駄な動線が減り歩行量が減ったことで、
スタッフの疲労感も軽減。
新人の定着率も上がり、
自然と職場の雰囲気まで良くなっていった。

数か月後、倉庫全体の利益が、
前年比で約2倍になったことが報告される。
僕は“自分の意見を言う変なやつ”から、
“改善の人”と呼ばれるようになった。
でも実はこれは、
仕事に哲学を取り入れただけだったのだ。
※まぁ、給料安かったし上がる気配もなかったから辞めたんですけどねっ!てへっ

◾️哲学はナマケ者の味方という確信
あのとき僕がやったことは、たったこれだけだった。
-
「このやり方、効率悪くない?」と疑問を持つ
-
「もっとこうしたらいいのでは?」と仮説を立てる
-
実行して、効果を観察する
つまり哲学者が言うところの、
[ “問い → 仮説 → 検証”のサイクル ]
僕はただ「自分がラクをしたい」という気持ちから、問いを持った。
- 「どうせ無理」
- 「言われた仕事をするだけの方がラク」
そうやって思考を放棄せずに考えたから、仕組みが変わった。
この経験から、ひとつの確信を得る。
哲学は、ナマケ者の味方である。

◾️会社の利益は哲学思考で伸びる
「真面目で一生懸命な人が立派だ」
現代社会でもまだこんな風潮がある。
- 長い時間残業をする人間が偉い
- がむしゃらに汗を流し続ける人間は偉い
もちろん、それもひとつの美徳だ。
でも“効率化を考えるナマケ者”も、
別の意味で美徳がある。
ムダを嫌いラクに生きるために、
仕事の根本を見直そうとする力があるからだ。
その力はみんなでラクをする事になり、
結果的に会社の利益の向上につながる。
ラクをする為に「現状に違和感を持てる」人間は、哲学的な視点を持っている証拠でもある。

◾️哲学は仕事の現場を動かす力
哲学とは、何千年も前から続いている問いの連続だ。
ただ勘違いしてほしくないのは、
哲学は難しい本で他人の考えを学ぶ事ではない。
- 「この仕事のやり方、なにかおかしくない?」
- 「上司の意見は、ほんとに正しいの?」
他人の言葉を受け入れながら、
それでも常識を疑い“自分なりの問い”を立てる力が、哲学だ。

つまり哲学とは、
「変えられるかもしれない」と思える力である。
それは、仕事の現場を動かす力になるし、
人生を自分の手でデザインする力にもなる。
考えることは、変わることにつながる。
そしてそれはナマケ者が持つ大きな武器だ。
自分を「怠け者だな」と感じることがあったら、
こう思ってみてほしい。
「そのナマケ心、哲学向きかもしれないぞ」

第4章:日々の仕事の現場に潜む哲学的思考
「この作業、いつも無駄な気がするんだよなぁ」
「でも、昔からこうだし…変える理由もないか」
そんな感覚を覚えた事はないだろうか?
その違和感こそ、哲学の入り口だ。
実はビジネスの現場では、
意外と哲学的思考が使われている。

◾️「なぜなぜ分析」は哲学だった?
「なぜなぜ分析」という言葉を聞いた事があるだろうか?
製造業や品質管理の世界でよく使われる、
問題が起きたとき原因を5回くらい「なぜ?」と問い続けて根本原因に迫る手法だ。
例:
商品の不良が多い → なぜ?
⇒ 作業ミスが増えている → なぜ?
⇒ 工程が複雑 → なぜ?
⇒ 設計段階で仕様が頻繁に変更されたから → なぜ?
⇒ 顧客要望に振り回されている…

問いを繰り返して、根っこにある構造を明らかにする。
この思考は、まさに哲学のやっていることだ。
哲学者たちは何千年も前から、
「なぜ?」を繰り返してきた。
- なぜ人は生きるのか?
- なぜ正義が必要なのか?
- なぜ“常識”は正しいとされるのか?
つまり「なぜなぜ分析」は、
哲学的思考の応用形に他ならない。

◾️「KY活動」も哲学だった?
企業の安全対策として導入されている、
「KY活動(=危険予知)」も興味深い。
「この作業で起こりうるリスクは?」
と仕事を始める前に立ち止まって考える習慣だ。
僕が建設作業員時代は、
毎朝朝礼時にKY活動をさせられていた。
これも「当たり前」を前提にせず、
潜在的な問題に疑問を持つ立派な哲学的行動と言える。
哲学とは、
見えないものを“意識化”し、言葉にする行為。
「言われてみれば当たり前だけど、見過ごしていた」
そんなことに気づく為の思考はまさに哲学だ。

◾️PDCAもMECEも"哲学的構造"を持つ
ビジネスで使われる手法がある。
PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Act)
-
仮説を立てて(Plan)
-
試してみて(Do)
-
検証して(Check)
-
改善する(Act)
これを繰り返して改善していくという考えだ。
……あれ?
これ第3章で見た哲学的サイクルと、
まったく同じじゃない?
「問い → 仮説 → 検証 → 再検討」
哲学がずっとやってきた思考の流れと、
完全に一致しているのだ。

またコンサル業界で有名な、
「MECE(モレなくダブりなく)」
という考え方も、論理哲学の技術に近い。
「物事を、重複なく、網羅的に分解して考える」
例:「売上の要因を“客数”と“客単価”に分けて考える」みたいな使い方。
これも、ものごとを明晰に分解する、
哲学の訓練とほぼ同じ構造だ。
つまり僕たちは知らず知らずのうちに、
哲学を“仕事の現場”で活用していたのである。

◾️哲学の力で“会社の神話”を崩す
会社には、よくこんな空気がある。
- 「これがうちの仕事のやり方だから」
- 「昔からこうしてるから」
- 「それを変えるのは難しいよ」
その“空気”が非効率の温床だと感じる。
そして、その空気の正体とは、
言い換えれば「組織内の神話」だ。
神話は疑われることなく、
語り継がれてきた“前提の集合体”。
哲学の力は、
その「前提」に問いを投げかけることにある。
-
なぜこのルールは存在するのか?
-
誰のためにこの仕組みはあるのか?
-
本当に変えられないのか?
そんな問いでナマケ者はその神話を崩す。
“社内の当たり前”を崩す一手が、
組織と従業員の未来を変える。

◾️哲学はどんな仕事にも応用できる
哲学とは知識ではなく、
問いのセンスであり、視点の技術だ。
それはどんな職種でも使える。
営業・接客・設計・経理・清掃...
- 「ほんとうにこれでいいの?」と問いかける力。
- 言語化しにくい“違和感”に気づく力。
- 自分なりに考えて、仮説を立てて周囲を巻き込む力。
こうした力を持つ人を、企業は本当に欲しがっている。
それが利益の向上につながるから当然だ。
マニュアルをなぞるだけの人ではなく、
“マニュアルを見直せる人”。
それが哲学を使う人間の特徴だ。
※ただマニュアルをこなしてほしい職場もあるけどね。

◾️気づきは誰でもできる「最初の哲学」
「哲学」と聞くと、
「むずかしくて、堅苦しい」と思うかもしれない。
だけど実は哲学の第一歩は、
「変だな」って気づくという簡単なこと。
そこから、問いが生まれる。
そして、問いが世界を変えていく。
つまり哲学とは、
「見慣れた世界を、もう一度見直すこと」でもある。
- あなたの仕事にも
- あなたのチームにも
- あなたの生活にも
哲学はすでに入り込んでいるかもしれない。
当たり前の違和感に気づいたとき、
それはもう哲学の始まりの合図だ。

第5章:哲学は直接的に役に立つものではない
「哲学って、結局なにかの役に立つの?」
よく聞かれる問いだ。
そして、それは正直な問いでもある。
結論から言えば哲学は、
「表面のテクニック」には一切役に立たない。
「これを学べば年収が100万円上がる」
といった即効性のあるスキルとは違うからだ。
しかし最も深く、長くあなたを支える「思考の土台」になる
スキルを種だとするならば、
哲学は種を植える土壌である。

◾️哲学は“遠回り”だが無意味ではない
あなたが会社で働いているとしよう。
- 今すぐ出世したい
- 評価されたい
- 給料を上げたい
承認や利益を求める気持ちは自然なものだ。
でもその手段としてスキルやテクニックばかりを求めていると、あるとき行き詰まる。
- 「そもそも、なぜ働くのか?」
- 「自分にとって、いい仕事とは何か?」
「どうすれば評価されるか」ばかりを気にしていると、これらの根源的な問いを見失ってしまうからだ。
そういうとき哲学が役に立つ。
哲学は「見逃していた問い」を掘り起こし、
あなた自身の“軸”を育てる土壌になる。
その軸がブレない判断や、強い思考力につながり、結果的に成果を出せる人になる。
「哲学は遠回りに見えて、実は一番深い実力につながっている」

◾️スティーブ・ジョブズと哲学の話
Apple創業者のスティーブ・ジョブズも、
哲学に深く影響を受けた人物のひとりだ。
若い頃、彼は大学を中退したあと、
インドで修行し禅に傾倒する。
「無駄を削ぎ落とし、本質を見つめる」
その美意識が、あの美しいデザインに結びついていった。
彼が大切にしたのは、常に「本質に還ること」。
それはまさに哲学の態度そのものだった。
ジョブズは言った。
“You can’t connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.”
「点と点がつながるのは、未来になってからだ」
哲学も同じだ。
すぐにはつながらない「問い」や「違和感」も、
あとで振り返ったときに、大きな意味を持っていたと気づく。

◾️哲学を実践する考え:池田晶子
日本にも哲学を日常に引き寄せようとした人がいた。
哲学者・池田晶子さんは、
「哲学は実践だ」と考えた。
哲学書を読むことではなく、
“なんとなく当たり前になってしまったこと”にきちんと問いを立てる。
- 「死とはなにか?」
- 「人間とはなにか?」
- 「言葉とはなにか?」
池田さんは、こうした問いに向き合い続けた。
彼女が書いた文章は、知識の説明ではない。
読む人に「自分はどう考えるか?」を問う、
“思考の火種”である。
哲学とは、人の内側から火を灯すもの。
誰かの正解を写すのではなく、
参考にしつつも自分の問いを持ち続ける力なのだ。

◾️古代ローマの皇帝も哲学していた
もうひとり紹介したいのが、
ローマ帝国の皇帝、マルクス・アウレリウス。
戦争や政争の中で心を乱されながらも、
「どう生きるべきか」を静かに問い続けた人物だ。
彼は『自省録』という本を残した。
その日記には、こんな思想がある。
「人が幸福になれるのは、自分の心が正しいときだけだ」
権力があっても、周囲が混乱していても、
“自分の思考と心”にだけは責任を持つ。
それが哲学の基本姿勢でもある。
アウレリウスは皇帝でありながら、
どこまでも“思索する人”だった。
そしてその思索が、
世界最強の帝国を穏やかに治めたのだ。

◾️「仕事ができる人」は哲学している人
ここまで見てきたように、
哲学はすぐに役立つものではない。
だがそれだけで、
哲学を判断するのはもったいない。
現代人はすぐに答えを求めるが、
哲学は長い時間をかけて“根本的な変化”を起こす道具だ。
表面のスキルではなく、
“なぜそれをやるのか”という思考の土台を築くもの。

気づいていないかもしれないけれど、
あなたのまわりにも「哲学している人」はきっといる。
- 「なぜ?」をちゃんと考える人。
- 「それって本当に正しいの?」と問い直す人。
- 「これって、自分にとって大切?」と立ち止まる人。
そういう人は結果的に仕事ができる人になっていく。
思考停止して何もしない人よりも、
考えて行動する人のほうが強いのは当然だろう。

◾️哲学は「仕事の土台」をつくる技術
木にたとえるなら哲学は「根っこ」だ。
知識やスキルは枝葉で、すぐ見える。
だから成長を実感しやすく伸ばしやすい。
だけど根がなければ、木は倒れる。
多少、伸びるのが遅くてもいい。
あなたの内側にしっかりと根があれば、
どんな嵐にも耐えられる。
哲学とは、その根っこを深く育てる力だ。
哲学は役に立つか?
この問いに対してこう答えよう。
「すぐには役に立たない。
でも、最も深く人生を支える“思考の土台”になる」
土台さえしっかりしていれば、
仕事も生活も人生も揺らがないものになる。
それが哲学の“実用性”である。

あとがき:哲学で仕事と人生を変えるあなたへ
「給料上げたいなぁ」と思うことは、
決して悪いことじゃない。
給料を上げるためには、誰かの役に立ち、
まずは会社に利益をもたらす必要がある。
これは、ごくシンプルな仕組みだ。
このシンプルな仕組みに気づかず、
「給料が安い」と嘆く人が多いと感じる。
僕は長時間働くことも、
寝る間を惜しんで仕事をすることもしたくない。
あなたもそうではないだろうか?
哲学思考を使えば、
がむしゃらに仕事をしなくても結果が出せる。
「どうすればもっとラクに効率よくできるか?」
こんな単純な問いの繰り返しが、
仕事をラクにし、収入を上げる事につながる。
哲学とは難しい本を読んで偉そうなことを語るものではない。
- 「なんでこうなってるんだろう?」
- 「本当にこれが最善なんだろうか?」
その小さな疑問が、哲学のはじまりだ。
この記事を読んで少しでも、
「考えてみようかな」と感じてくれたのなら、あなたには哲学の素質がある。
そしてその少しの思考が、
あなたをもっと良い場所に連れて行く。
たとえ疲れていても、落ち込んでいても、
「問い」続ければ、人は必ず前に進める。
哲学の積み重ねは時間がかかるが、
人生や仕事の景色を少しずつ変えるはず。
この記事があなた自身の「問い」を育てる、
小さなきっかけになればうれしい。
ナマケ者より、心をこめて。
「頑張り過ぎずに考えよう。
考えたら、世界はちょっとずつラクになる。」
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社会人の永遠の悩み住居について考える記事⬇️
※ナマケ者のYouTubeチャンネルに繋がります👆
ここまで読んでくれて、ほんとうにありがとう。
ナマケ者は、生活に哲学を取り入れてより良い人生を送ってほしい今日もゆるく息してます。
☕ よろしければ、他の記事も読んでいってください。
きっと、今のあなたに寄り添う言葉があります。
気に入ってもらえたら、SNSや友達にそっとシェアしてもらえると嬉しいです。
無理せず、のんびりいきましょう。ではまた。
ナマケ者のことちょっと気になったら⬇️